大坪義明さんが介護職員になったわけ

大坪義明さんは老人ホームに勤務する介護職員です。6人兄弟姉妹の末っ子であり、幼い頃から家族皆で生活を支え合って生きてきた中で互助精神と言うものを身につけました。大家族ですから月々の食費を成り立たせるためにも互いに節食したり分け与える必要があったのです。そのため、自然な流れの中で「人と共に生きる」姿勢を学んだのです。また大家族を支えている中枢である母親は常に笑顔が耐えない人であり、家族の仲が不穏になった時に率先して人の不満を聞く受け皿となっていました。この母親から、人として困難な時にどのように振舞うべきであるかを学んだのです。

九州にある実家から独り立ちしてから、大坪義明さんは運送会社に就職しました。運送業は特別なスキルが求められませんし手取りも良く、何不自由のない生活を送っていました。一方で大坪義明さんの心にはある不満が溜まり込むようになりました。それはコミュニケーションの問題です。運送業は専ら一人で荷物の持ち運びを行ないますので、滅多に他人と関わる事がありません。そうした仕事は気楽ではありましたが、大家族の中で育った大坪義明さんにとってどこか満足できない職業でもあったのです。
一方、大坪義明さんは就職を機に友人の紹介で知り合った女性と結婚しており、家族を養っていく必要がありました。そのためすぐさま転職を考える事はできなかったのです。家庭生活と言う人間の根幹をきちんと維持できない人間に、しっかりとした仕事はできないと言うのが大坪さんのポリシーです。こうした姿勢は大工仕事一つで大家族を育て上げた父親から養われたものでもあります。そのため大坪さんは自分自身が本当にやりたい仕事は子供達が成長してから実現しようと考えていました。

一男三女の子供達が就職したり進学で自立した事を切っ掛けに、大坪義明さんは介護士になるための勉強を始めました。本当に自分にとって向いている仕事とは何かを考えた末に、介護士を目指す事にしたのです。ふと周囲を見渡せば少子高齢化社会の日本では両親の介護と仕事を両立している友達が溢れ返っています。これからの日本社会のために介護士の仕事は欠かせないものであると気付くと同時に、自分のコミュニケーション能力を活かした労働ができる仕事だと悟ったのです。家族と一緒に暮らしたいけれど、そうした生活がままならない高齢者施設の人達に尽くしたいと言う気持ちもありました。また幼い頃に大家族の中で学んだ人への思いやりも、こうした仕事であれば活かせると思ったのです。
そこで大坪義明さんは職業訓練を利用して安い費用で資格を取得し、老人ホームへの就職を勝ち取りました。

一番初めに就職していた老人ホームでは実際の介護と大坪義明さんなりの価値観が衝突し合う場面が何度かありました。大坪義明さんが就職していた老人ホームでは高齢者の方々を特定の場所に閉じ込める行為はもちろん厳禁でした。一方、認知症にかかった高齢者の方々がインフルエンザなどの病気に犯されたまま施設内を歩き回ると大変危険です。ちょっとした気管支の病気に罹っただけで入院が必要になる高齢者の方も多く入所しているため、病気をうつさないような対処が必要でした。
そのため大坪義明さんは、インフルエンザにかかった認知症の方々が歩き回らないように部屋に鍵をかけるべきだと提案しましたが、特定の場所に軟禁する事が不可能である以上、そうした問題は解決しませんでした。
このような問題を根本的にクリアーするためには介護職員の労働時間を増やし、認知症で特定の病気にかかっている人を小まめに監視するしかありません。一方老人ホームに就職している職員の数は慢性的に不足しており、仕事が増えれば他の入所者に対するサービスが疎かになってしまいます。大坪義明さんは実際の老人ホームで働く事によって、介護職員が慢性的に抱えているこうした問題を学びました。また現在も日々入所者の方々と関わる事によって、介護士としての自分の姿勢を見直すと共に成長する日々を送られています。

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