八ツ田和夫、料理人への道

八ツ田和夫は、どこにでもある一般的な家庭で生まれ育ちました。生活水準も同様に一般的でしたが、年に一度はとびきりの贅沢をするという決まりが八ツ田家にありました。旅行、高級料理など、とにかく何も考えずにお金を使い翌日からの生き生きとした生活に役立てていました。
小学校高学年の時、高級イタリア料理で贅沢をすることになりました。当時はイタリア料理とは何かというレベルでしたが、味の良さが保障されている高級店なので感銘を受けました。トマトをふんだんに使った特徴的な味が気に入り、若き八ツ田和夫は毎日こんな料理を食べることができたらと思います。
それから、毎日のようにピザやパスタなどのイタリア料理を作るように母親へ要求します。子どものお願いならと母親も頑張っていましたが、一向にイタリア料理への熱が冷めないので困っていました。
そこで母親は、「イタリア料理のコックになれば毎日イタリア料理を堪能できる」とアドバイスしました。母親の意図は、異常なイタリア料理への熱を冷まそうと冗談半分に言葉を発しましたが、八ツ田和夫は逆に心の中に火が点きました。今すぐにでもイタリア料理を学びたいと懇願しましたが、義務教育の最中だったので叶いませんでした。

八ツ田和夫の両親は、義務教育が終了する中学卒業の時点までイタリア料理への熱が下がらなければ全力で支援すると決定しました。そして八ツ田和夫は多感な時期である中学を卒業してもイタリア料理のことを考えていたので、この道に進むことができたのです。
ただ、本場イタリアで料理の修行をするにしても多くのお金が必要であったり常識を身につけなければいけないと悟ったので、高等学校も卒業すると決めました。高校時代はアルバイトでお金を貯め、本などでイタリア料理の研究を繰り返す毎日です。
満を持して、イタリアへ向かいましたが、順風満帆にはいきません。イタリアには世界中からコック志望の人間が集うので常に人と比べられる環境だったのです。イタリア料理のコックとして生活する為にはすべての人間との勝負に勝つ必要があるのです。よく分からない異国の地で、高いレベルの競争に加わった若い八ツ田和夫は困惑しました。
それでも、一年も経つと料理の腕は上がり、お店を出しても恥ずかしくないレベルまで上達しました。資金の関係でまだお店を出すことはできませんが、いつでもイタリア料理を食べることのできる状態にはなりました。子どもの頃の夢が叶い、充実した日々を送っています。

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